複眼道場

なぜ「超えて含む」なのか — この道場が直す・克服するを使わない理由

複眼道場では、エニアグラムを学ぶ目的を「パターンを使うか、使わないかを、自分で選べるようになること」と表現しています。「直す」「克服する」「悪い癖をやめる」ではない。この言い方にこだわる理由があります。

「直す」と「選べるようになる」は、まったく違う

エニアグラムの学習でよく見かけるフレーズがあります。「囚われを克服する」「悪いパターンを手放す」「自分を変える」。どれも前向きに聞こえます。でもこの道場では、これらの表現を意図的に使っていません。

なぜか。「直す」は、前の自分を否定する構造を持っているからです。

タイプ8の人が「人をコントロールしようとする癖を直す」と言ったとき、裏にある前提は「コントロールしようとする自分はダメだ」です。タイプ5が「閉じこもる癖を克服する」と言うとき、「閉じこもる自分は問題だ」が前提にある。

この「ダメな自分を直す」という構造は、一見すると健全に見えます。自己改善、自己成長。でも、ここには落とし穴がある。

前の自分を「ダメだった」と位置づける成長は、成長ではなく上書きです。上書きは、足場を抜いて次のフロアに上がろうとする行為。足場がなければ、遅かれ早かれ落ちる。

「超えて含む」という原理

インテグラル理論に「超えて含む(Transcend and Include)」という概念があります。これは発達段階の構造を記述する原理ですが、複眼道場ではこれを道場全体の設計思想として採用しています。

「超えて含む」とは、新しい段階に進んだとき、前の段階を捨てるのではなく、含んだまま超えていくということ。足し算であって、引き算ではない。

上書き(直す) 前の自分 (否定・排除) 新しい自分 足場がない → 落ちる 超えて含む 前の自分 (含まれている) 選べる自分 足場がある → 安定
上書きと超えて含むの構造的な違い

これをエニアグラムのタイプに当てはめるとこうなります。

上書き(直す) タイプ8の攻撃性はダメ。直さないと。もっと穏やかにならないと。→ 本来の強みまで封じ込める
超えて含む(選べる) タイプ8の突破力はそのまま持っている。その上で、使うか使わないかを自分で選べるようになる。

「直す」だと、タイプ8の突破力ごと蓋をしてしまう。「超えて含む」だと、突破力を持ったまま、それを今使うかどうかの判断を自分で握る。パターンが消えるのではなく、パターンとの関係が変わる。これが「使うか、使わないかを選べるようになる」の中身です。

この道場の設計は「超えて含む」でできている

「超えて含む」は単なる概念説明ではなく、この道場のあちこちに設計思想として埋め込まれています。

3つの道具が共存している理由

複眼道場はエニアグラム、インテグラル理論、AIの3つを組み合わせています。「エニアグラムだけでいいじゃないか」「インテグラルだけで十分では」という声もありえます。

でも、1つの枠組みだけで人間を捉えようとすると、その枠組みが「唯一の正解」になってしまう。エニアグラムだけで見ると「タイプの話」に閉じる。インテグラルだけで見ると「段階の話」に閉じる。

複数の枠組みを「超えて含む」ことで、どの枠組みからも自由でいられる。エニアグラムの視点を持ちながら、インテグラルの視点も持つ。どちらか一つを正解にしない。これ自体が「超えて含む」の実践です。

「気づく」を長い時間軸で扱う理由

この道場では、「気づく」ことに即効性を求めません。気づくことは知識を入れたら即できる種類のものではなくて、時間をかけて少しずつ獲得していくものです。

なぜこの立場を取るのか。それも「超えて含む」から来ています。

今の自分のパターンは、長い時間をかけて積み上がった適応の結果です。それを「気づいたら一発で変わる」と位置づけるのは、積み上げを軽視している。年単位で培われたものが、年単位で変わっていく。それでいい。急いで「超えよう」として「含む」をスキップするのは、超えて含むではない

「正しさ」を一つに決めない理由

複眼道場のサブタイトルは「矛盾を感じ、抱え、進む、力」です。矛盾を消さない。感じなくなることを成長とは呼ばない。

これがそのまま「超えて含む」の構造です。矛盾を「どっちかに決める」ことで消すのでも、「割り切る」ことで鈍くなるのでもなく、矛盾を感じたまま抱えて、その先に進む。前の段階を否定せず、包含して次に行く。

たとえば「タイプ1の正しさとタイプ7の楽しさ、どちらが大事か」と聞かれたら。

「超えて含む」の立場では、答えは「どちらも含む」です。正しさを大事にする人が楽しさを否定する必要はないし、楽しさを大事にする人が正しさを否定する必要もない。

ただし「どっちでもいいよね」と曖昧にするのとも違う。両方が見えた上で、今この場面ではこちらを選ぶ。それが「超えて含んだ」状態。

「卒業」ではなく「稽古」と呼ぶ理由

この道場が「道場」を名乗っているのも、「超えて含む」と関係しています。

「セミナー」や「講座」だと、「受けて、わかって、卒業する」というイメージがつきやすい。でも複眼は一度身につけたら終わりの技術ではありません。油断するとすぐ単眼に戻る。疲れれば戻る。ストレスがかかれば戻る。

だから「稽古」なんです。戻ることを前提にして、何度でも戻ってくる場所。「前の段階に戻る自分はダメだ」ではなく、「戻るのは自然なこと、また気づけばいい」。これもまた「超えて含む」です。戻る自分を否定するのではなく、戻る自分を含んだまま続ける。

「超えて含む」の難しさ。「前の自分を含む」のは、言葉では簡単ですが実践は難しい。「あの頃の自分は未熟だった」と思いたくなる。でも、その未熟な自分がいたから今ここにいる。未熟さを含んだまま先に進むのが「超えて含む」であり、未熟さを恥じて切り離すのは「上書き」です。これは一度わかったら終わりではなく、何度も繰り返し向き合うことになるテーマです。

インテグラル理論の概念としての「超えて含む」

この記事では、複眼道場の設計思想としての「超えて含む」を説明しました。元となっているインテグラル理論の概念——発達段階の入れ子構造、「超えた」と「避けている」の区別など——については、インテグラル理論の解説記事で詳しく書いています。両方読むと、同じ原理の理論面と実践面が見えてくるはずです。

最後に

複眼道場が「直す」「克服する」を使わないのは、言葉づかいの好みではありません。前の自分を否定する成長は、足場を抜いた成長だからです。

パターンはなくならない。囚われは消えない。でも、それを使うか使わないかを自分で選べるようになる。パターンを持ったまま、パターンとの関係が変わる。それが、この道場が考える成長の形です。

「超えて含む」は、この道場の設計のほぼ全部に通底している原理です。3つの道具の組み合わせも、タイプの扱い方も、「気づき」の時間軸も、サブタイトルの「矛盾を感じ、抱え、進む、力」も。そしてたぶん、この原理にいちばん苦しむのは、「自分を変えたい」と強く思っている人です。変えるのではなく、含む。その転換が、けっこう深い。

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エニアグラム・インテグラル・AI を交差させた考察を、note のメンバーシップで続けています。

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